人生の問い

昨日あるお葬式にお参りをした。若くして亡くなられた、女性のお葬式であった。

火葬場までご一緒させて頂き、最後までお別れをさせていただいた。

その後、係りの人に案内をしていただき、待合室に移動している最中のことである。

故人の3歳のお子さまが、ご主人に

 

「お父さん!お母さんはどこにいったの?」

「今度はいつお母さんにあえるの?」

 

としきりに、質問をしていた。

お通夜、お葬式の間、ずっと喪主として気丈に振る舞っておられたご主人であったが、その瞬間涙があふれ出てこられて、3歳のお子さまを抱きしてめて、泣いておられた。

 

そのお姿を見て、私自身、込み上げてくるものがあった。そして

 

 

生きるとはどういうことなのか。

命終えていくとはどういうことなのか。

 

 

という人生の大きな大きな問いを改めて問われているような気がした。

毎月10日は

講中である通信教育のレポートの提出日。

今日は午前中で仕事終えたので、家帰って必死に、レポートを仕上げる。

 

今月は3教科のレポートを、提出することができたが、この度提出したレポートの試験が今月の末にある。もうそれまであまり時間がない。

 

1年経ってようやく、レポートを出して、試験を受けて、またレポートを出して、試験を受けて、その繰り返しの生活になれてきた。仕事をしながら勉強をするのは大変だ。

 

でもみんな大変な思いをしながら、必死に頑張っているんだとおもう。

お釈迦さまは人生は苦なりとお示しくださった。初めて聞いたときは、なんて悲観的な人生観なんだって思った。けれども、これは誰しもが苦労をしながら、悲しみをかかえながら、必死に生きているんだぞという思し召しなのかと最近思う。

 

苦労のない人生はないのである。みんな苦労しているのである。そしてみんな立派なのである。


と思う。


ということで、ほんじゃまたね。

ベッキー

ベッキーがワイドなショーというテレビ番組にゲストコメンテーターとして、出演したらしい。
実際に番組を観ることはできなかったのが残念だ。

Yahooニュースのコメント欄を見ると、応援メッセージも少なくないが、「なにを偉そうに」や「どの立場で」といった批判的なコメントも散見できた。

その批判はその通りだと思う。でもその事を一番分かっているのは実はベッキーなのではないか。「人の事を言える立場ではないけど」という前提があって、発言をしていたのではないかと推測する。(まぁ番組を観てないので単なる妄想ですし、どんなコメントをなされたのかも分かりませんが。笑)

実はベッキーに限らず、みんな人の事を偉そうに批判できるほど、偉くない。そんな事は当たり前である。
批判や、指摘というのは「人の事を言える立場ではないけど」や「自分にも言える事だけど」という前提で、なされるべきではないだろうか。
偉くて、完璧で、なんの落ち度もない人でないと、コメントできないというのなら、コメントできる人なんて誰もいない。

けれども誰かが、コメントしなければならない。でなければ、世の中おかしなことになってしまう。批判や指摘をする立場にある人は「人の事を言えるほど偉くないけど」という視点を持っておくということは、実は大切な事なのではないのかと思ったりもする。

まぁそんなこんなです。ほんじゃあ、またね。